
未だ この歳になっても漫画をよく読む。「キングダム」のような歴史物・軍記物も面白いが、面白いのか面白くないのか微妙な日常物や、ちょい不思議物とでもいったライトなものが好きで、近年のお気に入りは “panpanya” や “芦奈野ひとし”(いずれも作家名)といったところ・・。
どういうわけか、何処ぞのニュータイプのごとく異常発達してきた日本の漫画文化、戦中 “田川水泡” 戦後 “長谷川町子” “トキワ荘メンバー” “モンキーパンチ” ・・etc 様々な作風・画風を花開かせ、世界に稀なる資産を積み上げてきた。
漫画についての意見や認識は種々なれど、その功罪も含めて百年を越えて進化し続けてきた様態は、ひとつの立派な文化と言って差し支えないと思う。
私が小学校に上がる前後頃から “単行本” が一般化してきた。今日で言う “コミックス” である。 本来、単独で刊行される書籍を単行本と言うが、漫画書籍に関してはシリーズ刊行されるハンディサイズのものを指して言う。 今回 調べるうちに知ったが海外において “tankōbon” で通じることもあるようだ。
初めて買ってもらった単行本が「巨人の星」だったことを憶えている。当時はいわゆる “スポ根物” 全盛の時、家内の愛読書にしてみれば「アタックNo.1」といったところ。
以来、様々な漫画を読んできたが、その中でも少々 異色の作風で存在感を示していたのが “松本零士” による「男おいどん」であった。

まだ単純な時代、多かれ少なかれ “勧善懲悪” や “立身出世” がテーマの漫画が大勢を占める中、「男おいどん」は、その主人公 “大山昇太(おおやまのぼった)” に作者自身を投影しながらも 全くもって “ヒーロー” も “出世物語” も存在しない。 只々 貧乏で不遇の日々に耐えながら懸命に?生きる日々が描かれるのみである。
言ってみれば “日常物” であり、極論、第1巻も最終巻もほぼ変わらないような内容だが、只、最終話の描き方や、番外編として描かれた “未来編”の展開に強い衝撃を受けた。
そしてまた特徴的なメカニックデザインの冴えに目を見張った。未来編や他の作品で時折描かれる大小様々な円形メーターを巧みに配したコンソール、曲面複合型の宇宙船デザインなど他の追随を許さないものであり、数年後、一世を風靡した「宇宙戦艦ヤマト」のデザインが松本零士の手によるものであることは、一目に明らかである程だった。
※ 宇宙戦艦ヤマトは西崎義展原作のアニメから始まったが、初回放送時はあまり人気が出なかった。2〜3年後の再放送時からブレイクして、アニメーション全体への認識を改めさせるほどの社会現象となる。 また 松本零士はこれより数年前の作品「電光オズマ」で “宇宙戦艦大和”(ロケット型)を登場させている。
ともあれ「男おいどん」の当時は異色の漫画家であり、そもそもデビュー時は少女漫画でもあり、そしてアダルトな作品も結構残しているというマルチかつ奇矯の存在、ファンではあったが、まさかにその数年後、名を知らぬ者ないほどの売れっ子漫画家になるとは思いも寄らなかった・・と言えば失礼にあたるだろうか・・。
「キャプテンハーロック」「銀河鉄道999」「1000年女王」など数々の名作を生み出し、”御大” と呼ばれる存在に至り、その作品群がパチンコのネタにまでなった現在、ある意味 裸電球の “大四畳半” でもがいていた物語を懐かしく思うのは贅沢なことなのかもしれない・・。
松本零士 = スターシステム については 解説サイトも多いので今回敢えて触れないが、スターシステムの若干 外にある “戦記シリーズ(戦場まんがシリーズ)” 「スタンレーの魔女」「鉄の墓標」「オーロラの牙」などは、自分にとって青春時代のバイブルでもあった。

現在なら “戦争を美化している” などと揶揄でもされそうだが、そんなことは関係ない。辛く悲しい時代・環境でも自らの生命を賭けて、愛と信念を貫こうとした男たちの真っ直ぐな生き様は、大袈裟に言えば私の人生の追い続けるべき指標ともなっている。
そういった、人生に影響を与えるという意味でも “漫画” は “文学” に勝るとも劣らない文化だと思う所以でもあるのだ。
松本零士 の作品については多くの思い入れもあり、また機会を得て別の記事で取り上げてみたいと思っている・・ので、その折にはまたよろしくお願いします。
※ 文中 敬称略