ポイント、ポイントと何につけてもポイント制である。自分もamazonのポイントが幾らか貯まっている。
先日、数年ぶりに某オークションに古いオーディオアンプやカメラを出品したら、システムが変わっていて、落札されたは良いものの その確定金額をPPポイントなら即時払い、指定口座に振り込みなら手数料抜きの数日後払いときた・・。
某オクが中間に入って出品者・落札者を取り持つ安全の仕組みなのだから仕方がないとはいえ、結構な落札手数料を抜かれているのに・・と、もひとつ釈然としない・・。
今さら言うまでもないが、ポイント制というのは購入者にとって とりわけ有利なものでもない。
何となくヘソクリが貯まってゆくようでちょっと嬉しくなるし、それが「期間中 ◯◯パーセントUP!」などと喧伝されれば、つい踊らされてしまうが、そもそも企業が損益計上となることを進んでする筈もなく、それに掛かる費用は経費 もしくは店子の販売者に転嫁されているのである。
要するに “お得!お得!” と謳いながらも「ポイントあげるからウチのグループで もっとどんどんお金使ってね」というシステム以外の何物でもない。
それでも巧妙に張り巡らされた経済の輪廻、波に乗らないと何か損するような、ポイント貯まると何か得したような気にさせられる不思議な感覚、もしかすると この不安定でまやかしのような世の流れこそ経済の姿そのものなのかもしれない。
小さな町の喫茶店やお店が私製のポイントカード作って、25回で1回コーヒー無料などやるのとは訳が違うのだ・・。
昭和も50年代になる頃には 既にポイント制というか “ポイントカード” が数多の店で発行されていた。マス目の切られた名刺大のカードにハンコを押してゆくアレだ。 服屋に行っても飲食店に行っても、挙げ句散髪屋までカードを発行していて、財布の中身がお札ではなくカードでパンパンなってしまった・・w。
どこのお店でも固定客・リピーターが欲しかったのだろうが、リピーターになるほど買い物を続けるわけでもなく、結局のところカードに押されたハンコを有効に使った記憶がない。 まぁ上の愚痴も含めて元々 金回しの拙い私だからであろう。ちゃんとした人は財布の紐もポイントの使い方にもそつがないものだ。
ポイントカードが普及する以前、ある意味ポイント制にも似て、一時期 一世を風靡するかのような勢いで とある “切手” が登場した。
リスのキャラクターも可愛らしい『ブルーチップ』である。その名のとおり青かった。
時前後して『グリーンスタンプ』も流通した。その名のとおり緑色だった。
『ブルーチップ』はアメリカ創業の会社、『グリーンスタンプ』は国内発祥の企業だそう、単なる思い込みかも知れないが『ブルーチップ』の方が 若干メジャーだったような気がする・・。
カードや現在のポイント制と異なるのは 買い物上での “お得” ではなく、用意されたカタログから貯めたチップ枚数(=ポイント)に応じて好きな商品をもらえるというもの。 言わば現在でもあるカタログギフトのようなものであった。
様々な商品が色鮮やかに紙面に並び、見る者の心を踊らせたが換金率(換ポイント率?)が高いのか 中々欲しい商品に届かない。(曖昧な記憶で恐縮だが高額商品には乗用車(ハコスカ)が載っていたような気がする)
25枚程ずつシートに貼って郵送で申し込むのだが、これもまた結構面倒い。(こういう事が好きな人には作業もまた楽しみだったかも知れない)
今日的な視点から見ると、メリットを手にするまでの手間や時間が掛かり過ぎるのがネックだったのだろうか、ポイントカードが世に溢れる頃には すっかりその姿を見なくなってしまった・・が、会社自体はブルー・グリーン両社とも今も健在でポイントカードなどによる(電磁式?)販促事業を展開しておられるそうだ。

本質的なメリットはともかく、とかく人は “お得” の言葉に弱い、100円200円安いと言ってガソリンを焚き遠くまで車で買い物に出掛け列を成す。
上でも言ったが、これもまた経済の一面なのだろう。 列を成す人をどうこう言うつもりはない、その人の経済観念 やり繰りのお陰で、薄い稼ぎながらも我が家はやっていけているのだから・・
「毎月1日は◯◯の日」などと言って気合を入れてスーパーに望む、カミさんの後ろ姿を見ながら「いつも お疲れ様です (- 人 -)」の言葉を贈ろう。