小学校を4校、中学校を4校通った。 引越しと転校ばかり。
親の都合なのでやむを得ずとは言うものの、ひとつ所で落ち着かない暮らしはあまり良いものではない。 まぁそれなりにどこでも友達は出来たし、得難い経験もあったので今となっては思い出深いとも言えようが・・。
中学校2年生の時、和歌山県有田市に居た。南北に長い和歌山県の中紀部入口のような場所、みかん畑農業と多少の漁業が主の地方部である。
箕島(高校野球で知られた)という町の中心部があって、当時はそこである程度 物も揃うのだが、若かったこともあって、何か買い物がある時はもう少し賑やかな(北の)海南市街や、県庁所在地である和歌山市まで出掛けていた。
ある日曜日、暇つぶしがてら和歌山市まで買い物に行った。
“ぶらくり丁” という商店・歓楽の中心地があって、昭和時代はとても賑わっていたのである。
思い付きで出掛けたこともあって友達に伝が取れず、一人で周る街は寂しくもあり自由気ままでもあり、地方の小さな繁華街とはいえそれなりに楽しんだように思う。
日も傾きはじめた頃、そろそろ帰る前にと一軒の本屋に立ち寄った。
箕島と異なり膨大な量で居並ぶ書籍を前にして、さて何を買おうかと考えた時 ひとつ思い出すことがあった。
有田市に引っ越す前、和歌山市内の中学校に通っていたのだが、そこで親しく付き合っていた友人が “星新一” のファンだったのだ。
当時、私もSF小説が好きで “眉村卓” の作品など よく読んでいたが、”星新一” はまだ目を通さずにいた。 (この機会だし一度読んでみるか・・)思ったものの どの作品が良いかわからない。 現在みたいに携帯一発 お薦めを聞くわけにもいかない。
(これで良いか)とりあえず手に取った一冊が『声の網』という文庫本であったのだ。
和歌山市から有田市に帰るのに “紀勢線(紀勢本線 / 当時国鉄)” という電車に使って、当時45分位掛かったか・・。
和歌山駅で電車に乗り込むと あいにく席は満席、ドアの傍のポールに寄りかかりながら、時間潰しに先ほど買った本を開くことにした。
立ったまま45分という状況は、電車通勤をされている方なら慣れたものかも知れないが、それでもそれなりに負担と退屈を伴う。
しかし、この時ばかりは本を開いた その瞬間から箕島駅に着くまでの時間の流れを一切覚えていない。足腰にかかる負担の何の記憶もない。 僅かに脳裏に残るのは車窓から射し込む夕陽の眩しさばかりであった。
気に入った小説というものは、それを読んでいる間 まるでその世界の住人であるかのように溶け込んでしまうものだが、初めて読んだ “星新一”『声の網』は私にとってまさにその一冊であったのだ。
人工知能が高度に発達した未来、社会生活を総合して管理するマザーコンピューターが人知れず起こす事件・・ というSF世界では有りがちな、というより定番と言って差し支えないテーマを扱っているにもかかわらず、全く陳腐さを感じさせない。
それは、コンピューターによる一連の事件を 弄ばれる人間側ではなく、事を起こしているコンピューター本人?の興味や視点から描く、という珍しいプロットであるだけに留まらず、比較的短い各章ごとに異なるエピソードを作り、それが12章をもって一つの大きな話として大成する。尚かつ各章は一年の各月の流れをも表している。
単に上手く出来たSF話というだけでなく、詩的とさえ言えそうなファンタズムを持った氏の作品はたちまち私を虜にしてしまい、それ以降、数多の星作品を買い集めることになってしまったのだ。
“星新一” のファンは多い。多くの方がご存知のとおり氏の作品の特徴であり真骨頂は “ショートショート” である。 特に短いものでは1ページ程で話が完結する。
それから見れば、一冊を通じて話を構成・完結する『声の網』は、氏の作品の中では少数派であり、純SF色の長編としてはかなり珍しい存在でもある。
言ってみれば、私は氏の作品群の数少ないタイプの作品から入門したことになる。
それでも、あの電車の中での、ブランデーのような夕陽にまみれた一刻が無ければ、その後に続く “星作品” との蜜月も無かったのかもと思うと、 出版社の宣伝文句ではないが「一冊との出会いが・・」というのも、あながち間違いではないと思えるのだ。
溜め込んだにもかかわらず、長年の内に散逸してしまったものも多い星新一の文庫本・・。
電車に乗って出掛けずともインターネットで気軽に探せる結構な現在、当時の装丁のものを探して また集めてみようかと目論んでいる今日この頃である。