喜ばしくも悲しき結末

昭和39年の東京オリンピック、 時の通産省、放送業界、そして家電業界が、これを大きなマーキングポイントとして 家庭用テレビの普及を図っていたことは、ひとつの事実であろう。

給料3万〜5万円の時代にようやく数万円の価格帯にまで廉価されたテレビ、成長期ならではとでもいうか、それまでの生活を一変させる家庭用メディアは、最早 “三種の神器” などという言葉さえ置き去りにするかのごとく、爆発的な勢いで普及していった。

ハードウェアが普及するということは、当然 ソフトウェアであるテレビ番組も追随しなければならないのだが、何事もそう順調には進みきれない。

それまでの映像娯楽といえば “映画” であった時代から “テレビ” 時代への大転換期でもあったため、映画・演劇の業界からも多くの人材が転向を図ったが、同じ映像媒体といえど現実的には全くの別物と言えるほどの差異があったようだ。

ともあれ、先ずは視聴率獲得のため様々な試行錯誤のもと、次々と新たな番組を制作・放送してゆく傍ら、リソースの調整もあってか 40年代半ばくらいまでは、ドラマやアニメ分野などにおいて、まだ海外(主にアメリカ)からの輸入・翻訳による番組が結構流されていた。

 

以前、記事にもしたが、当時 定番ともいえる人気を誇ったのが “刑事もの” であった。
「七人の刑事」や「ザ・ガードマン」「刑事くん」など、後の時代にも語り継がれる名ドラマが この頃多く作られた。

この影響があるのかどうかは分からないが、輸入もののドラマでも “刑事もの” が多く取り入れられたように思う。 定番とは洋の東西を問わないのかもしれない。

言わずもがなアメリカと言えば “西部劇” でもあり、 “西部劇もの” ドラマも少なくなかったが、今ひとつ “西部劇は映画で見るべきもの” 風な雰囲気が、当時まだ残っていたようにも思える。

 

レイモンド・バー 主演による『弁護士 ペリー・メイスン』は人気を博した。

続く、同レイモンド・バー主演『鬼警部 アイアンサイド』も高視聴率を上げ、クインシー・ジョーンズによるテーマミュージックは、後年の三面記事番組「ウイークエンダー」にもキャッチとして採用された。

余談だが、レイモンド・バーは「ゴジラ」映画にも二度に渡って出演している。
も一つ蛇足だが、レイモンド・バーを見たとき、私はアメリカ版 佐藤栄作かと思った・・(顔つきが)

 

テリー・サバラス扮する『刑事コジャック』は、異色の風貌と饒舌皮肉な語り口でニューヨークのタフな男を演じきり、私も好きなドラマだったぜ坊や!

 

ジェームス・ガーナー演じる『ロックフォードの事件メモ』も、ガーナーのサバサバした二枚目半のキャラクターがいい感じだった。

NHKも『刑事コロンボ』や『警部マクロード』など人気番組をシリーズ化して放送していた。

 

多くのアメリカ産 “刑事もの” ドラマが放送される中で、とりわけ異彩を放ち私の脳裏に残るドラマが、デビッド・ジャンセン主演『逃亡者』だ。

異彩も当然、追う者ではなく追われる者の立場から逃亡劇を描いたドラマだったのだから・・。

些細な喧嘩の末に妻を殺害したと誤認逮捕され、死刑宣告までされた主人公リチャード・キンブル(デビッド・ジャンセン)だったが 運命の一瞬の隙をついて逃亡に成功する。

以後、人目を憚りながらも妻の仇である真犯人を探す無情の旅を、4年間 全米に渡って続ける彼の悲運と苦悩は、多くの視聴者の同情と共感を呼んだことだろう。

まだ子供であった私だが、もしもいつの日か自分が同じような運命に置かれたとしたら、とても同じような不屈の精神を維持出来ないと思ったものだ。

父母もこのドラマは気に入っていたようで、主題曲のレコードも買っていた。
何とも・・言葉にさえし難い、哀愁と緊張感に満ちた曲の出だしは今でもこの耳に 強烈に焼き付いている。

アメリカでも非常に人気の高かったドラマであったようで、最終回のエピソードは視聴率50パーセントにも達したのだとか・・

1993年にはハリソン・フォード主演でリメイク映画化もされている。

 

最終回、 リチャード・キンブルはついに仇であり真犯人である男を追い詰める。そして・・

DVDもリリースされていることだし、ネタバレになってもいけないので詳細は書かないが、リチャードは本懐を果たすことに成功する・・。

だが、だからといって失われた4年の日々も苦労も、何より 愛する妻の命が戻るはずもない。 人の運命とは時に かくも非情なものなのか、これはハッピーエンドと言って良いものなのか・・ 達成感と悲哀が ない混ぜになった小学生の ある晩のことだった。

 

 

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