闇と熱気に見たまぼろし

子供の頃・・、 しかし このワードよく使うね このブログ、実際、昭和の想い出と言えば青年期以前であり、特に昭和臭さを謳うなら 尚のこと少年時代の話となってしまうので仕方ないのだが、それにしても “子供の頃” の出現度が高過ぎる気がする。 もっとボキャブラリーを磨いて小マシな文章にしなければ・・・。

失礼しました。 ともあれ、まだ小学校1〜2年の頃だったと思う。
ある日 親父が一斗缶(これも もう殆ど死語か?)ほどの箱を小脇に抱えて帰ってきた。
当時はダンボールが普及する直前位だったので、いわゆるボール紙で出来た箱だったように記憶している。

 

ニコニコしながら箱を開けて取り出したのは、何やら黒い(もしかしたらモスグリーンだったかもしれない)モコッとした感じの金属製の機械、そして、円筒状の包み入ったポジフィルムがいくつか・・。

何これ? とか思っていたら、次には押入れから毛布を出してきて部屋のあちこちにくくり付け吊るしはじめるではないか。

いったい何が始まるのん? と思う私を尻目に機械にフィルムを装填し、ついには部屋の明かりを消してしまった。

入れ代わりに灯る意味有りげな灯火・・、「あっ! 押入れ閉め忘れた・・(親父)」
ガサゴソと閉めた押入れの戸襖に映し出された光に、私はようやく理解した。

(あ・・これ映画だ! でもこれ動かない映画だね・・)

* 画像はイメージ ヤフオクさん終了オークションから拝借

 

お袋と一緒になる前、親父は大阪の映画館で映写技師をやっていたそうだ。

そんなこともあってか、子供に家で鑑賞出来る映画を見せてやりたかったのだろう。

『幻灯機』 今にして思えば名前からして味のある魅惑的な呼び名だ。英語では『Magic Lantern(マジック ランタン)』という。 英語からの意訳命名か、それぞれオリジナルな名付けかは知らないが、当時の人のネーミングセンスの良さが伺い知れる。

話が逸れて恐縮だが、ここ20〜30年の何でもかんでもアルファベットの組み合わせにする(国鉄→JR 農協→JA 全日空→ANA 何とかの仕組み→ABCDE・・)など、あれ何とかならんのかね・・?

グローバル化の一環なのか、登記やマネージメントの都合なのか 何かは分からないが、捻りもなく 全てが単に記号化されてゆくようで今ひとつ面白くない・・ 国鉄、農協、全日空、ぼやき抹消装置じゃいかんのかw?

 

話を戻します m(__)m

名前は素敵な幻灯機だが、正直なところ当時の自分にとっては少々食い足らない感があった。 映画のようにダイナミックに絵が動くわけでもないし、音が出るわけでもない。

一コマ分ずつ手動で巻き動かして進めてゆくのだが、クリップポイントも無いので毎コマごとに丁度良い位置に合わせてから見るといった按配で、どうにも興が削がれる感じ・・

静止画の移り変わりならば「紙芝居」の方がテンポが良いし、尚かつダイナミックなおっちゃんのトーキー付き、そもそも こんな苦労して見るならマンガ本かテレビで良いじゃん。
何しろ部屋を暗くしないと見れないし、(投射用の)電球と暗幕毛布のセットで暗い!暑い!・・・・

 

かくして、子供に自分の想いを載せて、喜ぶ何かをしてやろうという親父の気遣いは儚く崩れ去った・・のだろう・・。 あの時の自分がどんな顔をしていたのか知りようもない。力無く笑っていたのだろうか・・。

親が良いと考えて子に与えるものは 得てしてハズしやすい・・というのは、世代感覚の差もあってよくあることなのだろう。自分も親の立場になって経験した記憶がある。

結局、親父のしたことは全くの空振りだったのか・・ そうは思わない。

「子供は何をしてもらったかではなく、どれだけ想われたかで育つ」の言葉もある。

50年以上経った現在でも、こうして私の脳裏に焼き付いて離れないということは、今までの人生を通して親父の想いは私に影響を与え続けて来たということでもある。
ホームランではなかったが、クリティカルヒットくらいにはなったのではなかろうか。

あの日、暗く暑苦しい中で見たおぼろげな映像のごとく、親の想いは私の心に今も光と影を落とし続けているのだ・・。

 

 

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