「控えおろう!」
昭和時代はキャラクターがはっきりしていることが多かった・・ので、これだけでほとんどの人が解ってしまう。 ご存知『水戸黄門』クライマックスシーンでの決め台詞。 もはや伝統的・・というか、これが無いと物語が締まらない、終わらない くらいの重要度・・。
半世紀を越えて繰り広げられたテレビ版「水戸黄門」、昭和時代劇のドの付く定番番組、現在ネット上でもその情報には事欠かない。
黄門様を挟んで 向かって左側の助三郎(助さん)が「ええい! 静まれ静まれぃ!」と荒ぶる場を制し、右側に立つ格之進(格さん)が「ここにおわす御方をどなたと・・控えおろう!」と印籠を掲げる。(因みに助さん格さん共々、佐々介三郎、安積覚兵衛という実在のモデルが居られたそうだ)
掲げられた印籠、ズームアップ、悪党はじめ関係者一同「ハハーッ・・」とばかりに平伏・・。耳に馴染むバックミュージックとともに感極まれりの大団円へと・・。
ワンパターンではあっても、否、ワンパターンであるからこそ安心して迎えられる物語の締め括りであったのだ。
ところで、当の主役である黄門様、私にとって黄門様といえば “東野英治郎” 氏である。 少々小柄ながらかくしゃくとし「カッ、カッ、カッw」と明るく笑うキャラクターは、私の中で水戸黄門のキャラクターを確立していった。
“西村晃”氏 ”佐野浅夫”氏 ”石坂浩二”氏 ”里見浩太朗”氏 そして”武田鉄矢”氏 と、どの人選も悪くなく それぞれの黄門様を十全に演じておられたのだが、やはり自分にとって初めての、そして馴れ親しんだ人でそのイメージが築きあげられるというのは、誰しにもある普遍のプロセスなのかもしれない。
以前、職場の(一回りほど年上の)上司とこの話をしていたら、その方にとっての水戸黄門は “月形龍之介”氏 だそうだ。
昭和30年代の映画版 水戸黄門を10作以上に渡って演じられ、テレビ版においても “東野 黄門” の前に約1年間務められた。 こもブログを見て頂いておられる方にも “私にとっては水戸黄門=月形龍之介” という方も多いのではなかろうか。
当然、”いやいや、私にとっては西村・・佐野・・・” という方々も時代・年代に連れ多くおられるのだろう・・。
長寿番組ならではの伝統と織りなす趣深さであり楽しみでもある。
水戸黄門と並んで昭和時代劇の雄『遠山の金さん 捕物帳』
説明の用無きほど有名、万人に知られた痛快時代劇である。
言ってみれば水戸黄門 同様、一見 無力な一般人に思える者が事件に絡んでゆき、クライマックスでその身を明かし悪人を裁く・・、カタルシス満載のストーリーである訳だが、遊び人という、より庶民・世俗に近いキャラクターが共感を生んだ。
「水戸黄門」天下の副将軍様 に比べ町奉行 ≒ 遊び人であることからか、キャラクターの自由度に余裕があるらしく、こちらは 代々 遠山景元の人となりやドラマ演出にも微妙に変化をつけながら、半世紀近くに渡って受け継がれたようだ。
この “金さん” についても “私にとって” がある。”中村梅之助”氏 がそうである。
ちょっと丸ポチャっとしたフェイスに精悍さは薄いが、それだけに親しみやすく、梅之助氏の自然な演技と相まって、よりリアルな江戸庶民の暮らしが伺い知れるようではないか。
以前の記事で「仮面ライダー」に触れた時、1号ライダーよりも2号ライダーを演じられた佐々木剛氏に親しみがあると書いたが、それに通じるものがあるのかもしれない。
こちらについても上記の上司にすると、金さん=片岡千恵蔵 氏だそうだ。
先に書いたように「遠山の金さん」シリーズは自由度の高さゆえ “西郷輝彦”氏 ”杉良太郎”氏 ”高橋英樹”氏 ”松方弘樹”氏 など比較的オーソドックスなものから、「伝七捕物帳」やスペシャル番組など多彩な顔ぶれ・多様な構成で続けられた。
江戸時代末期から明治・大正・昭和へと語り継がれた時代噺、その基本と構成がシンプルであるがゆえに分りやすく親しみやすい。
同じものを同じように続けていれば “マンネリ” と言われるのも道理だが、あまり気を使わず安心して見ていられるドラマがあるのもまた嬉しいものだ。
近年ではこういった安牌な作品が少ないところも、またテレビ離れを後押ししているような気がしてならない。