昭和50年代も後半期、既に社会人となっていた。
この頃には いわゆるモータリゼーションも極大期に差し掛かっており、昭和中盤での業務使用+一部の人の乗り物 → 一家に一台(お父さんの運転)→ 女性運転者も増えて増大 → 社会人なりたての若者にも普及、の時代を迎えていた。
社会に出る者は我先のように免許をとり、まるで必須アイテムとばかりに中古・新車を問わず車を求めたものだ。 交通網が発達し車の維持費が大きい都市部はともかく、特に地方部でその傾向が顕著だったように思う。
中高生がタバコを咥えて大人びた気分になっていた如く、車を運転すれば一端の社会人になれた気になっていたのかもしれない。
かく言う私も赤貧の身上にもかかわらず車を求めた。
ここでもヘンコな性分が作用したのか、どうせ気の利いた(若者に人気のある)車が買えないならばと、ある夜更け 近所の中古屋に見に行ったのがスバル360のヤングSS、ところが既にプレミアが付きはじめており当時の価格で38万円、予算に見合わなかった・・。

結局、手に入れたのが8年落ちの白いカローラ、俗に20(ニーマル)と呼ばれたトヨタカローラ2代目である。当時はヒネくれてヤレヤレといった感じだったが、今にして思えば2ドア コンパクトクーペとしてスタイルも中身も相応に魅力的な車だった。 物の本当の良さが分からない若さ故の愚かさといったところか・・。
ともかく、こうして始まった車遍歴、ダイハツ シャルマン、トヨタ セリカ、AE86トレノ と移り変わってゆくのだが・・、
この頃、車に手数お金を注ぎ込む(主に)若者達の間で爆発的ともいえるスピードで広まったものに「パーソナル無線」があった。
900MHz帯を使用する いわゆる個人開局の “簡易無線” の一種であり、アマチュア無線(Ham)と トランシーバーの中間に位置するような無線システムだが、小型軽量で車への設置を目的とした商品開発がされたこと、開局のための免許取得が容易であったことから、瞬く間にヒット商品となり市井の若者車の多くに黒い棒のようなアンテナが立つこととなった(頭頂部はオレンジ色)。
これには当時のテレビ番組「太陽にほえろ」「西部警察」などに登場する警察車両や、その無線装備の影響が大きかったようにも思えるが、黒棒アンテナを立てる車の少なくない数が、むしろ警察車両に追われかねないタイプであったこともまた実状であったのではなかろうか。
元々、無線そのものに対する興味があったわけではなく、そのための知識もモラルも持ち合わせていない者が 流行や憧れに流されて車に持ち込んだ黒い箱は、無線社会に加速度的に混信と混乱をもたらし、不法無線のトラックにも導入がなされ改造機による電波独占までに至り混沌の様相を呈してきた。
改造された機器が蔓延り、真当な無線交信が出来にくくなると当然のように利用者は減り、社会的影響もあってやがてメーカーも見切りをつけるようになる。
平成に入り やがて携帯電話が普及する頃には、まるで泡沫(うたかた)の夢のように過去のものとなり、平成30年12月末、電波管理制度上からも姿を消すこととなった。 現在、残留している局は その免許有効期限をもって消滅を待つばかりだそうだ。
便利で夢に満ちたシステムも時代の流れによって いつか変容を求められる。
それを使う者たちの意識が低ければ その終焉はなおさらに早かろう。
「アマチュア無線」が半世紀を遥かに超えて世界中で運用され続けているのは、趣味性や実用面の高さもさることながら、それに取り組む多くの人々のモラルの高さも大きなファクターであることは間違いない。
自分の楽しみや有用性だけの話ではない。社会の中の、自分と多くの人々の中で活きてこその楽しみであり便利であり、そして夢なのだ。