縁の下のカラメル

若い頃に比べると菓子類をあまり食べないようになった。
30代位まではチョコレートなどの甘味系、せんべいやポテチなどの辛味系ともども よく口にした。 コーラとポテチなどあった日には見る間に一袋で足りず二袋目へと・・。

菓子が嫌いになったと言う訳でもなく、特に健康を意識してという訳でもなく、いつの間にか消費の量が減ったというだけだが・・、 まあそれでも、子供が一人立ちして夫婦二人の世帯に戻った後は、時折 コーヒー・紅茶とともに甘いものなど二人して頂いている。

 

50年来、私の “my favorite” は マスヤの「おにぎりせんべい」なわけだが、甘いものも嫌いではない。 地元デパートの地下街を訪れた時などにはショートケーキを買って帰ることも少なくない。

大きなもの、ホールケーキ的なものはダメで、あくまで “ショートケーキ” なのだが、これは単に量的な問題だけでなく、子供の頃の(今で言うスイーツ?)に対する思い入れが作用しているように思える。

 

昭和30〜40年代、現在とは比較にならないほどの熱気と高度成長の最中にあった日本、国民の生活水準も飛躍的に向上した時代であったが、皆の暮らしがすぐさま豊かになった訳でもない。 一般的な世帯にあってはまだまだ発展の途上であったと言えようか。

自家用車も電話もエアコン(当時はクーラー)も、大方の家庭に行き渡るのは40年代も末から50年代初頭にかけてであろう。まさか将来、家庭や個人の生活にコンピューターやインターネットが持ち込まれるなど考えもしなかった頃である。

いかに世が好景気とはいえ、限られた収入の中でやり繰りしなければならない親にしてみれば、先ずは生活に必要なものからなので、車も家電もさながら食卓に上るものも、そうおいそれと高級志向とはいかない。

夕食のメニューは塩鮭(当時はまだ冷凍技術の都合で生鮭は少なかった)が上れば上等、寿司だのすき焼きだの何かしら特別な機会のご馳走、子供のおやつにケーキなど誕生日かクリスマス位のものであったろう。
(とは言え、これでも戦中・戦後の方々から見れば十二分に贅沢なものだっただろうが・・)

 

3〜4ヶ月に一度・・何を思ったか、奮発?して買って来てくれるショートケーキは何よりの “スペシャルスイーツ” であった。 一度親についてケーキ屋に行ったこともあったが、ショーウィンドウに並ぶ白亜の品々に目を回したものだ。

品々とはいえ、現在ほどバラエティに富んでいた訳でもなく いわゆる “イチゴショート” や “モンブラン” など数種類であった気がするが(あとはホールケーキ)、やはりスタンダードな “イチゴショート” が好みであり、また安価でもあった。

未だに豪華で華やかなショートケーキよりも、一見地味な “イチゴショート” を選ぶことが多いのは この頃の記憶が大きく影響しているように思われる・・。

 

さて、もう一つの “スペシャルスイーツ” は「プリン」

これこそ年に一度あるかどうかといった感じだったか・・
何しろ “喫茶店” に行かないと食べられないので中々お口に回って来ないw。

昭和39年に粉から作る「ハウス プリンミクス」が発売されているが、割高だったのか調理の時間がなかったのか あまり買ってもらった記憶がない。 それだけに私のプリンに対する特別感は長く続いた。

昭和47年 グリコ「プッチンプリン」が登場、(それまでにもカップ入プリンはあったと思うが)プリンは家庭の食卓に一気に近づく。

以降、私もその恩恵にあずかり手軽に食せるようになっていった。かつての特別感は薄れてしまったが、家庭内で食べたい時に食べれるカスタードの甘味とカラメルの香味のハーモニーには、それを伏して抗し難い魅力がある。 ・・しかし・・

 

その名のごとく特許技術でもあった “プッチン” を備えたカッププリンはともかく、未だ多くのカッププリンは その機構を持たず “カラメル” を底にした状態で食べなければならない。

喫茶店でガラスのデザートカップに乗ったあの姿、プリンミクスの箱に描かれたあの姿こそ至高!と思う我が身には、これは何とも残念であり歯痒いばかり・・「カラメルは上に乗っていてこそのプリンだと私は声を大にして言いたい!」と毎度 憤懣やるかたなし・・

とはいえ、上に乗せると販売中に滲み混ざってしまう可能性も高く・・ 誰か良いアイデア絞り出して下さい・・とか思っていたら近年、以下のような記事を発見した。

『プリンのカラメルはなぜ下にあるのか』excite.ニュース

 

カラメルは自らの意思?でカスタードの海を突き降りていたのである・・
(@_@;) !?

 

 

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