去りゆく季節を惜しみながら?

詩的な題名だが、実際 気持ちは半分半分といったところ・・

空高く晴れ晴れとした日はもちろん好きだが、そぼ降る雨の日も実は嫌いではない。
シトシトと小道や屋根瓦を濡らしてゆく雨には何とも情緒が有る。

仕事で走り回っている間はそうも言っていられないが、ふとしたはずみに見かける濡れた町の佇まいは昔から割と好きだった・・。

 

ところが、近年の梅雨といったら あまり情緒的とは言い難い。
単なる思い込みな部分も多々有ろうが、来る日も来る日もシトシト シトシト小雨が降り続ける・・そんな情景が自分の中の(子供の頃の)梅雨の姿だった。

しかして、ここ10~20年は気候変動の影響もあってか、梅雨なんていつ有ったんだ?と思えるような年から、今年のように甚大な被害を引き起こす「もうこれ梅雨やのうて豪雨やん!」みたいな極端な状況が多く、中々 ”情緒” を味わっている余裕さえない。

それでも、時折見る小雨に、初夏の季節ももう終わりかと名残惜しさを感じながら・・、さてもはや厳しい夏の到来であります。

 

テレビショッピングの元社長ではないw

 

歌手、三善英史 氏である。 元社長のように やや外れ気味の声高ではなく、独特のしっとりとしたハイトーンであった。 一見中性的とさえ思えるすんなりとした顔立ちも手伝って、デビュー曲「雨」は “待つ女” の佇まいを切なく描き出し、発表から瞬く間に50万枚を謳うセールスとなった。(因みに元社長の方もカラオケは上手いらしい・・)

当時、自分はまだ小学生であり、この手の歌にそれほど思い入れが有ったわけではなかったが、それでもそのころの梅雨の(発表は1972年の まさに梅雨入り前5月25日)情景に見事に溶け込んだのか、1番位なら歌えるほどに歌詞を憶えていた。

続く「円山・花町・母の町」もスマッシュヒットを飛ばし紅白歌合戦への出場も叶ったが、如何せん それ以降 一線からはフェードアウトの感が否めず、76年「ラッキー・レディ・アンラッキー・ボーイ」が多少、知れれたくらいか・・。

 

東京の花街 円山町の芸妓さんのご子息であったようで、まさに歌を体現したような方であったわけだが、自らの想いか、当時の世風もあってか、ご本人はそのことに触れるのを快く思われていなかったようだ。

融通の利く性分であるのか、仕事に真摯であるのか、歌手業以外にも不慣れながら役者もこなし、1975年にはNHKの大河ドラマ「元禄太平記」において、吉良上野介の配下 清水一学を演じたり、後年には漫才コンビ「みよしとみよし」を組んでM‐1グランプリへの出場も果たしている。 17歳の美少年も今や66を数える歳となったが精力的に歌手活動に取り組む現役バリバリである。

 

売れた俳優さん・歌手さんなどは誰しもそうなのだろうが、三善氏もデビュー&ヒットの数年は多忙を極めたそうで、重なるアルバム制作のために10日で50曲憶えなければならなかったり、演技の方は練習どころか殺陣(立ち回り)などは、当日、局に行ってから収録前に憶えさせられたのだそうだ。

浮沈の激しい芸能界、それでも根を割ることなく仕事を続け今日に至るのは、彼本来の地道な辛抱強さと熱意による賜物なのだろう・・。

 

7月も終わり、過酷ともいえる真夏がやってくる。
20年位前までは ”夏” の ”感覚” が まだ好きだったが、さすがにこの歳となると夏は少々キツい・・。

上で異常気象の話に少し触れたが、昔、秋の風物詩であったはずの ”台風” が最近では真夏にやって来たりする。(2018年はそれでエラいことになった・・)

コロナ禍に振り回され続ける世情、せめて風水害はこれ以上起こらないでいてもらいたいものだ。せめて今は「雨」などを聞きながら心落ち着け、来る夏への備えを施すこととしよう・・。

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最後になり恐縮ではありますが、静岡県熱海市の土石流災害をはじめ、今季の豪雨災害で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 

 

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