そばかすの天使

今回のコロナ騒ぎが始まって1年半余りが経った。国民の半数が現状での開催を危惧していると言われる中にありながら、東京オリンピックの開催も間近だ。

こればかりは明確な ”正解” が存在しないためか、緊急事態宣言をはじめとした人出の抑制と、経済回復のための抑制緩和が日和見状態で繰り返され、国民自体にも緊張感が薄れてしまった。

いずれはワクチン接種の普及によって、ある程度 世情も落ち着きの方向へ流れてゆくのではないかと期待しているが、今回のウイルスの変異性はやたらと高いように見えるので、この先どうなってゆくかは今だ不透明、願わくは小康状態への道を辿ってほしいものだが・・。

 

こんな中では迂闊に旅行にも出掛けられず、気の晴れるところがない。 家に閉じこもりきりでストレスを貯めている方も多かろう。

幸いと言えるかどうか 我が家はいわゆる “地方” にあり、要するに田舎町でもあるので人口も少なく、有り難いことに比較的身近に山があり海があり川が流れている。

閉塞ストレスが溜まると家内と二人車に乗って出掛ける。 途中コンビニでサンドイッチやおにぎりを買い込むと、そのまま30分~1時間程度走った小高い丘や 山間の河原で車に乗ったまま それらを頂き深呼吸して帰って来る。立ち寄る先も出来るだけ少なめにする。

目新しいことや気の利いたことなど何一つ無いが、贅沢を言わなければこれでも一応の気分転換にはなる。 状況が状況なれば、それに合わせてコンパクトな “お出掛け” で対応処理するのが妥当だろう。 子供が手離れしていればこそではあるが・・。

 

そんな感じで出掛けた昨年の ある日、ふと立ち寄ることになった一軒の店があった。

人影もまばらな商店街の一店、 何か古い、店自体の造りが昭和丸出しである。地下階かと思えるような低い天井の造り・・。 奥まった場所にはスタンド式の軽食コーナーも有る。

衣料品売り場であったのだが、ラックにハンガー吊りで所狭しと並べているのも昔風、何となく並べられている服まで昭和テイストな気がしてくる。 店内の有線放送で “歌謡曲” を流しているのも昭和感を煽っている。

そんな中で流れてきた一曲に耳を奪われた。

 

 

あぁ、確かこんな歌もあったな・・。 長らく聴いていなかったが「甲斐バンド」は、こんな感じの歌が多かった。 「HERO(ヒーローになる時、それは今)」や「感触(タッチ)」のようにアップテンポの曲もあったが、「裏切りの街角」をはじめとしてエレジーな歌が印象的だった。

曲調に関わらず共通しているのはいつも、若さ故の愚かさと純粋さではなかっただろうか。
彼らの歌う歌には、抑えきれない欲望と愛と喜びと苦しみがはち切れんばかりに渦巻いていたように思える。

 

私自身は学生時代「アリス」で過ごし、社会人となってからは “ニューミュージック” “ハードロック” “クラシック” そして ”民族音楽” など、音楽への欲求が多角化してしまったので「甲斐バンド」を あらためて聴く機会は少なかった。

それでも、ふと聞こえてきた歌に鮮烈なほどに昭和の青春時代を思い出したのは、彼らの歌にそれだけ熱い想いが込められていたからなのだろう・・。

私達の世代に限ったことではないが、若い頃というものは得てして観念的であり直情的である。 そこへエッセンスとでも言うかのように ”ひねくれた感覚” を珍重して持ち込むものだから、いつの時代も大人の目からは愚かで反社会的と見られがちだ。

だからこそ純粋であり人生の試金石とも言えるほどの輝きを持つのだが、現代の世相を見ていると この ”一時の愚かさ” さえ薄れているような気がしてならない。 妙に聞き分けの良い利口な若者が多いような感じを受ける。 それでいて漠然としたストレスにまみれている。

情報化社会、インターネットの普及でリアルな体験もせずに知識ばかりが貯まり、あらゆる事が分かったような気になってしまうことも一因なのかもしれない。

昔が全て良かったなどと言う気はさらさら無い、今では考えられないような愚かで不始末な面も多々有った。 それでも現代には何か大事なものが抜けているような気がしてしまう。

現代に比べて少々不衛生で、ダサく垢抜けなかった昭和の青春時代を過ごした私達に ”そばかすの天使” は それを囁いているようにも感じるのだ。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA