一円の人が名付け親

道楽者である。(私のことネ・・)

どちらかと言うと身体を動かすことより、屋内もしくはその周辺で何かしらゴチャゴチャ弄り倒している方が好きな、要するにインドア派である。(手近な旅行は割と好き)

趣味に興ずる人間にも2通りあって、一つの趣味を数十年単位で黙々と続ける人と、数ヶ月から数年の割合で趣味の対象が移り変わってゆく人がある。 私は後者である。大体1~3年単位で対象が変わり20年程すると1周しているように思う・・。

まあ、そもそも生活に必須でもないインドアかつ 細かな物事に気を取られ 打ち込みやすい性分の人は、多少なりとも神経質な側面が見られ、同時に多方向への感度も高いので、どちらかというと後者タイプの人が結構多いのではないかと勝手に思っている。

 

このようなタイプの者に 得てして共通する性分として「散財」「コンプリート指向」「収集癖」がある。

「散財」に関しては主に金銭的な問題なので、生活維持の範囲内、家族からのクレーム・禁止、もしくは排除命令が出ない内に抑えておく他ないであろう。

問題は「コンプリート指向」と「収集癖」である。

取り組む趣味にもよるのだが、時計だの模型だの小型の機械だのになると “制作、レストア / 修理” の楽しみ以外に “収集” のベクトルが付加される。 シリーズものなどになると全種集めたくなるという意味不明の欲に駆られ「散財」への道をひた走ることになる。

畢竟、生活”非”必需品が増殖し続け置き場に窮することなる。 趣味の品などというもの好きな者には宝物だが、興味のない人から見れば二束三文の価値でしか無い。 いつか世に言う ”ゴミ屋敷のおじさん” にならぬよう、気を付けねばと常から思ってはいるのだが・・。

 

昭和の時代、ある意味 “国民的” とさえ言えそうなほど世に広まった趣味があった。

「切手の収集」である。

当然、全員というわけではないが、周りを見ても、普段さして趣味など持っていないような人も含めて、かなりの人が多かれ少なかれ記念切手などを珍重していたように思える。
新聞などで記念切手の発売日などが告知されると、当日の朝から郵便局に長蛇の列が出来ていたことも少なくない。

切手の趣味も奥が深いものであり、尚かつ世界的なものであり歴史も古い。
イギリスで誕生した切手は、その数をふやしてゆく中で趣味と収集の対象とされ、ギリシア語由来の「フィラテリー(収納済みの証紙を愛でるの意)」と呼ばれ、愛されるほど ”趣味の王道” でもある。

そんな切手趣味が何故に日本に定着したのかは不明だが、戦後間もない昭和22年既に 当時の逓信省(現在の総務省・郵政事業庁)から「切手趣味の週間(後の切手趣味週間)」が制定され、その後 続々と記念切手の発行がなされていることから見て、国策的な影響が大きかったのではなかろうか・・。

 

ともあれ、国民の間に根付いた切手収集の趣味は昭和期の約半分に渡って隆盛を奮った。
「見返り美人」「月に雁」「写楽(正確には”大谷鬼次の奴江戸兵衛 他”)」など、今も懐かしく憶えておられる方も多いのではなかろうか・・。

当時、自分はまだ小学生~中学生なので、上記のような切手には既にプレミアが付いており とても手が出せるものではなく、小遣いで賄えるものを買っていた。

指先に乗るような小さなキャンバスに描かれた絵画や模様は、時に美しく時に楽しく私たちを魅了し、それを扱う切手専門店やコインショップなども それなりに繁盛していた。

 

しかし、平成を迎える頃にはブームも既に過去のものとなっており、時代の流れとともに多くのショップもシャッターを下ろしてゆくこととなったが、やはり ”趣味の王道” たる所以か、その後も かつて程の勢いは無いものの、好きな人々によって確実に受け継がれ続けている。

因みに切手を外国語で「stamp / スタンプ」と訳するのは、切手が発明・流通する以前、収納の証として押されていた ”印” によるもの、 日本で ”切手” と称するのは、明治時代、郵政事業の導入に尽力し「郵政の父」と呼ばれる ”前島 密(まえじまひそか / 一円切手の人)” が「郵便」「葉書」とともに「切手」の名称を定めたのだそうだ・・。(参考・切手の博物館)

 

小さなキャンバスと書いたが、そこに描かれる美粧にはそこはかとない魅力と世界が広がっている。 もう何十年と切手趣味からは遠ざかっているのだが、再び興味を持って覗いてみた日には、またもや収集の対象が増える危険性甚だしい。

興味を抱いてしまいかねないものは、はじめから見ないのが一番の得策なのである。

1円切手ひとつでも色々あるようだ。

 

 

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