銭湯上面図(後)

日が暮れとともに町の人々が集まり、湯けむりにまみれてワイワイガヤガヤ、銭湯はその日の汗と疲れを洗い流すとともに 心の癒しと活力を求める場でもあった。

多種多様の人々が来店し全員スッポンポン、大きな吐息を吐きながら肩まで浸かれば 会社の社長さんも見習いの職人さんも皆同列、身分の差など何もないのが銭湯の良いところ。

 

反して雑多な人々が集うが故に前編終盤でお話したような、全身全霊を傾けてまで女湯のスッポンポンを覗きたがる困ったお方も稀に居られたようだ。

因みに前編での “岩場踏破型” 以外に、今記事の上面図よろしく “天蓋登坂型” の人もいた。

うちの銭湯は平屋造りであり浴場の天井はそのまま ”屋根” となっていたのだが、そこに “湯気抜き” のための小窓が設けてあった。 夜半、6メートル程もある屋根に掻き上り その小窓から覗いていたらしく、気がついた女性客が騒いで逃げていった・・。

「そこに山があるからだ!」ならぬ「そこに裸があるからだ!」・・ 私も男性である以上「見たい」という欲求は解らないでもないが、窃視は犯罪である上に6メートルの高さから落ちたなら まず助からないので、お止めになることをお勧めする w。

 

さて、男湯の突き当り、子供(当時の私)でも少し腰をかがめないと通れぬ程の小さなドアがある。

今回の上面図は この先、要するに銭湯の裏側・舞台裏のご案内。

 

はっきり言って暗い。衛生とくつろぎを売り物にする表側・浴場や着替え場に比べて・・何というか昔の工場のような感じである。

面積的には男女浴場を合わせたよりずっと広い敷地を持つのだが、その中央に直径2メートル以上もあろうかというような煙突が居座っている。

煙突の反対側にはボイラーが鎮座していて轟々と音をたてている。

その周辺はとにかく湯を供給・巡廻させるためのパイプやバルブが所狭しと這い回っている。

今回、それら当時の写真を探したのだが、年月と移転のために散逸したのか見当たらない。 ・・のでイメージとして下の画像を貼っておく。

あくまで雰囲気的にだが・・

 

 

ボイラーで火を使い、パイプをお湯が通り抜けるからか冬場でもそこそこ暖かく、夏場ともなるとかなり暑い。

図中では「ボイラー・重油タンク」となっているが後年のことで、それ以前は「おが屑(木材を切る時に出る切カス)」を くべて炊いていた。 タンクのあった辺りに ”おが屑の山” があり、近くで遊んでいた私が山に転げ落ちて、目から耳から鼻の穴から おが屑だらけになったとオヤジが笑っていた。

 

奥まった場所にある 住み込み従業員の居住区、家族3人とはいえ、わずか6畳ばかりの非常に狭い環境ではあったが・・(後に2階へと拡張)

暗く、狭く、お世辞にも結構とは言えない生活環境でも、今にして思えば 幼き日の暖かく幸せな時間だったのかもしれない・・・。

因みに右下に見えるのは、近所の八百屋のあんちゃんから中古で譲り受けた「マツダ キャロル360」である。(似てないけど・・)

 

小学校4年生、10歳の時にオヤジの転職に伴い この銭湯を去った。

以後、数年のうちにこの ”春岡温泉” は店を畳んだという。

昭和も50年代を迎える頃には 各家庭への風呂(入浴設備)の普及も進み、新築の戸建住宅やマンションには完備されていることが殆どとなった。
既に「銭湯」は斜陽を迎えていたのである・・。

現在でも極わずかな お店が懸命に営業を続ける「銭湯」だが、その未来は中々に難しい。

便利で衛生的で、いつでも使える我が家のお風呂が結構なのは言うまでもないが、あの、皆が肩を寄せ合い 話に花を咲かせた・・、冬の寒い日には肩を縮こまらせて行き、帰りにはホカホカだった「銭湯」も決して捨てたものではなかったのだが・・・。

最後に・・今記事のアイキャッチで番台に座っているのはオフクロである。
本人未承認である。 オフクロごめん・・m(_ _)m

 

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