題名からして どうしたものかと かなり悩んだが、悩んだところで そもそも大して新奇な情報が有るでなし、特にこの前編に関しては訪問してくださる皆さんご周知のことばかり。
なので、内容そのまま「銭湯上面図」とした・・ (-_-;)
以前、Facebookページの方にコメントを頂いた時に少しだけ触れたのだが、5~10歳位の間、家が銭湯であった。
アイキャッチで使用した画像 が当時のその外観である。
銭湯の経営ではなく、オヤジが釜炊き、オフクロが番台と一家住み込みの従業員、いわば ”超” の付く庶民中の庶民である。
昭和30~40年代にかけて、銭湯は一般庶民にとって公衆衛生の場であるとともに日々の日課に組み込まれた “憩いとふれあいの場” でもあった。
一つから三つ位の町内に必ず一軒はあって、多くは常連の客で賑わっていた。
やはり 夕刻以降、19~21時頃が最も混み合うのだが、お客さんそれぞれに 大まかな来店の時間帯というものがあるので、顔を合わせる常連さん同士 顔なじみ、近況や町の噂をはじめとした情報交換の場ともなっていたように思う。
・・で、私が居た銭湯の番台・着替え場の配置を上面から描いたのが下の図(多少、スケールなどがおかしいのは目を瞑っていただきたい)
番台前にある ”瓶のマーク” は当然 (腰に手を当てて牛乳!)の飲料水冷蔵ケースである。男湯側が白でなく茶色となっているのは 私が ”コーヒー牛乳” 大好き派だからである。
着替え場の床は(私の所では)”よしず” のようなものが敷き詰められていたような気がする。
マッサージチェアはご存知、革ソファーにアームが2本生えていて首の近くと背中辺りだけをグォン・グォンと弄ってくれるやつ、ドライヤーは今ではパーマ屋さんでさえ見なくなった “お釜式” の大仰なものであった・・。
平屋の銭湯だったが 湿気対策のためか天井が高く、大人の背丈ほどある脱衣箱の上にさらに2メートル程の空間が有った。 そこの空いた壁に(おそらく業者の営業なのだろう)何枚もの映画の大判ポスターが貼られていた・・。

・・で、お次は浴場内、ゆったりとおくつろぎ下さい・・。
確認したわけではないが、近隣の町内と比べてもそこそこ、当時としては大きめの銭湯だったように思う。
大風呂、中風呂、薬湯、電気湯、各種取り揃え・・他に水風呂もあったような気がするのだが、レイアウトともども何せ半世紀前の記憶、正確さは今ひとつ・・。
銭湯といえばイメージされる浴場内の壁タイルで描かれた “富士山” の絵だが、ウチの銭湯には無かった。 そのかわり、突き当りの壁面が男女湯を跨いだ 自然の岩場を再現していて、そこから滝のようにお湯が供給される乙な仕様となっていた。
岩場は男女湯を高さ2~3メートルの所でつながっている。
そのため通常ならば向こう側が見えることなどないのだが、そこは人の世の常・・。
酒に酔ってか 狭い岩場を掻き登って女湯を覗こうとしたアホタレもいたようだw。
さて、本日の最後は男湯の突き当りにある小さな扉・秘密の通路、この記事の前後通過点にして要・・。 この扉をして後編へと続く・・。