お母さんじゃないお母さんは割烹着が似合った

子供の頃、オフクロが炊事をする時はいつも割烹着だった。

そのせいか、その後エプロンの方が一般的になってゆく中でも、私にとって一家の妻、そして母親の姿を体現する重要な一アイテムとなっている。
そう言えば「サザエさん」一家の ”お母さん” フネさん も、常にと言っていいほど登場時は割烹着姿だった。

いつの頃からか、一部の職業や行事などを覗いて割烹着姿を見る機会は少なくなり、近年ではエプロン姿で炊事をする人さえ減っているように思う。

割烹着・エプロンとも下に着る衣服への 濡れや汚れを防ぐためのものであったのだが、昭和の中頃までと違って、調理やキッチンの環境も向上し衣服への汚れも付きにくくなり、その上 汚れても気軽に洗濯出来るようになったからなのか・・。

 

昭和を彩る ”女優” さんは星のごとく数多に存在するが、この “割烹着の似合うお母さん” として世に知られた人が “京塚昌子” さんだった。

少々・・というか多分に豊満なボディラインであったが若い頃はスリムな美人であったようだ。 22歳の時に患った盲腸の手術が成功したものの、それ以来 急激に太りはじめたのだという。

その恰幅の良さを生かした(ことになったのか・・?)『肝っ玉母さん』や『ありがとう』のシリーズで、人情味豊かで温厚な母親役を見事に演じきり、以降、”一家のお母さん” のイメージが全国の茶の間に定着し、数々の(主に家庭用品の)CMにも出演した。

個人的には『肝っ玉母さん』の役では ”肝っ玉” という言葉の割には、くよくよ悩むようなシーンも見られたようにも思うが、母親という役どころを “母親の経験も無いままに” 巧みに再現し得たのは天性の役者魂であったのか・・。

因みに『肝っ玉母さん』出演時の年齢は38~42歳、長男役の “一(山口 崇)” が妻帯子持ちの設定であったことからも異様に若いお母さん役であったし、山口 崇 氏と実年齢で比べれば何と6歳しか変わらないw それでもそのお母さん役に違和感を全く覚えなかったのは、彼女が自らに抱えるストレスを超越する気概と演技力を持ち得た人だったからであろう。

 

「温厚で情に溢れるお母さん」のイメージに反して、かなりの情熱家でその手の話にも事欠かないほどであったが生涯 独身であった。 また 自ら「自分は良い人なんかじゃない」と口にしていたらしいが、世間から与えられたレッテルと己の実像とのギャップに苦悩するのは、一線級に到達した者のみが味わう苦い酒の味なのかもしれない・・。

ともあれ、あなたが残してくれた ”お母さん” 像は、私たちに ”暖かく、柔らかく、頼もしい” お母さんを今になってもなお残し続けてくれているのです。 ありがとう・・。

 

 

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