怪獣下敷き(弐)

つい最近 別のブログで同じような書き出しをした気がするが・・

人というものは ある程度集まることで、そこに一定のヒエラルキーが発生するようだ。
※ ヒエラルキー 階層・階級制、序列の構造

”人間の価値・尊厳は何人たりとも皆平等”  というのは論を待たぬ事実だが、それとは別に一定数の人の集まりで完全なる平等が保たれていることは稀で、それぞれに役割を持ちながら相互に関連し合い、そこに何かしらの上下関係が生み出されてくる。

行動心理学の見地から見ても 一定の人数のグループで、全員を完全に同列とした時よりも、その中の1人をリーダーとして立てた時の方が問題解決の効率が非常に高いのだそうだ。
ヒエラルキーは人間の思いとは異なる自然発生のプロセスなのだろうか。

 

 

勿体ぶった能書きを並べたが、前編で取り上げた「怪獣下敷き」、これをもとにして始まったムーブメントが、この序列化なのである。

どういう事かというとクラス男子のそれぞれに「怪獣下敷き」に載せられている怪獣のどれかを割り当てるというもの・・。

要するに憧れ?の存在に対する同一化・・といった感じで、所詮子供の戯れであるのだが、ここで問題になるのが “どの怪獣に割り当てられるか” である。

怪獣に興味のない人には怪獣なんて どれも同じに見えるだろうが、さにあらず、怪獣にも歴然としてヒエラルキーが存在する。 強い怪獣・弱い怪獣、人気の高い怪獣・低い怪獣、かっこいいロボット・よくないロボットなど様々・・。

 

当然、皆がやりたい(割り当てられたい)怪獣は絞られてくるので倍率が高い、弱くかっこ悪い怪獣に振られた日には 自己のアイデンティティーにも影響しかねない。

“禁止の殿堂” とも言われる学校の中、子供の自尊心に関わる問題、普通ならあっという間に “その遊び禁止” 裁定が下されるところだが そうはならなかった。

割り当てでモメて問題に浮上しようものなら、たちどころに禁止されたのだろうが、少なくとも私たちのクラスでは(何故そうだったのかは失念したが)割り当てが誰かによる強制ではなく凡そ持ち回りに近い形だったからであろう。

 

おかげで私も一時「キングジョー」の栄誉にもあやかれた。・・とは言ってもまあ別に何をするわけでもないのだが・・

人気ランキングとしては「キングジョー」「ゼットン」「エレキング」「ゴモラ」「レッドキング」「メトロン星人」といったところか・・、いずれも現在でも その道のファン・マニアに人気の高い怪獣たちである。

 

 

格差への不満が叫ばれる現代、子供の世界に序列などとんでもないという意見も当然あるだろうし、それはそうなのだが、同時に いかなる格差も無い社会もまた存在しない。

運動が得意な子、勉強に長けている子、絵を描くのが上手い子、お喋りが上手な子、それぞれ得意不得意があり、そこに傾斜が起こり、のし上がる意欲が生まれ 自分に合った道を探る工夫をも生まれてくるように思える。

平等社会は目指すべきベクトルではあっても完全な実現には矛盾を孕んでいる。

生まれつきに その役割が決められている怪獣と違って、私たち人間には工夫の余地が残されているのだ。

 

 

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