昭和の話題を扱うなら避けて通れないネタが「駄菓子屋」だろう。
少なくとも昭和50年代までを子供で過ごした人なら一度ならず通われたことがあるはずだ。
おおよそ、ひとつの小学校区内に一軒か二軒のお店が在った。
そして多くの場合、店を仕切るのはオバチャン、もしくは老齢に掛かったお婆さんだったように思う。(オジサンが店主の店も有ったろうが、子供相手にはご婦人の方がより適任であったのだろう)
私が小学校低学年の頃、地区内に在った駄菓子屋の名が「マンガ堂」であった。
かなりのお婆さんが切り盛りしていたように思うが、子供の頃の印象なので実際にはそこまでの歳でなかったのかもしれない。(もしかすると今の自分と同じ位だったのか?)
当時のことだから規制も緩い、居並ぶ色とりどりの菓子も “合成着色料” “合成甘味料” てんこ盛りだったのではないか (^_^;)
そもそも原材料なんか一々確認しない時代だったから、何で出来ているのかさえよく解らない。小さなカップに入った「ヨーグルト」なんか、あれヨーグルト成分 本当に入っていたのだろうか・・w。
(* 現在製造されている駄菓子は食品安全基準に適合しているはずだ)
巷に現在のアトピーやアレルギーの元だったのではないか? などと噂されているがどうなのだろう・・ あれほど大騒ぎして日本の菓子メーカーの半数を倒産に追いやった “チクロ” は、後年 結局発癌性とは関係ないとされた・・。
ともあれ、当時の駄菓子の味は記憶の脚色も手伝って殊更に美味だったように思う。不明瞭なプロセスで作られながらも子供のハートを掴んで離さない、正に “蜜の味” だったのかもしれない。
駄菓子と並んで子供たちの(特に男子の?)気を引いていたのが「クジ」の類いである。
垂れ下がった糸を引いて当たりを求めるもの、ボール紙で出来た箱、押しボタンが付いていて当たりのボール型ガムを引くもの、仕切られたマスを押し破って中身を得るもの・・ それはまあ色々と “その気” を誘う仕掛けに満ち溢れていた。
子供にもやはり “射幸心” というものがあったのか。
大人になって自分はパチンコや賭け事の類いはやらないが、当時のこれらの仕掛けにはよく喰い付いた。 これもまた “蜜の味” だったのだろう。
月曜日から土曜日まで、放課後になると子供の声に溢れた駄菓子屋であったが「マンガ堂」には別の顔もあった。
9日(金)後編に続く・・