アメリカに行きたいから割り箸で髪巻いた

「シャバダバ〜♪ シャバドゥビ〜♪ イェーイ♪ ・・」

前回のサミー・デイヴィスJr. と同じような書き出し・・、アイキャッチ画像もシリーズ的にした。

こちらもある日突然テレビから流れてきた歌声? そしてアフロ頭、黒人JAZZ系の風貌・雰囲気をまとった・・でも完全な日本人エンターテイナーの登場であった。 イェーイ♪

 

© J:COM 足立人図鑑 様

松鶴家 千とせ(しょかくや ちとせ、1938年1月9日~ )

何より印象に残り 当時の子供たちをはじめとして流行語ともなったのは

「わかるかなァ、わっかんねェだろうなァ」

一世を風靡した このフレーズは、後に「わかんねェだろうナ(夕やけこやけ)」のレコードにも取り入れられ160万枚ものセールスに記録したそうだ。

 

現在もご壮健なようで、久しぶりに見て思うことは 「アレ?全然変わってないな・・」
時間でも超越してるのか? と思えるほどにあの時のままだ。

“流行” の宿命でもある “廃れ・忘れられ” の例に漏れず、イェーイ!な芸人は数年を待たずしてテレビの表舞台から姿を見せなくなったが、そこは持ち前の粘り強さなのか・・いや、かなり苦しまれたようだ、奥さんの支えもあり何とか持ちこたえ復調を成し遂げた。

それとも、思うに “芸人” になるべくしてなった天命ゆえか、今日に至るまで粛々と自らの歩むべき道を歩んでこられたのかもしれない。

近年では地元足立区をベースに慰問やボランティア活動にも旺盛に取り組んでおられるとか・・。

 

それにしても、その人生譚がユニークである。 戦後間もなく進駐軍の文化からJAZZに憧れアメリカに憧れ、餅米一俵を売ってこしらえたお金を胸にアメリカ行きを決意したとか、黒人JAZZの雰囲気と芸風の改修のために自分で割り箸使ってパーマをかけ、あのアフロヘアーを生み出したとかネタに枚挙の暇がない。

戦後昭和前半期の、ある意味ハチャメチャともいえる立身エピソード、お時間があればぜひ! ↓

 

 

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