「未来型フォルム」 とでも言おうか、 中途な未来となってしまった現在では そのキャッチコピーさえ古めかしく感じるが、当時は正に先鋭的なデザインであった。
時代の発達には時期的な区切りがあるとでもいうか、モータリゼーション真っ只中、昭和40年代は独自の社風と技術力を賭けて世に問う気概が各社にあった。
それは技術指向の高いマツダでは特に強かったようで、あろうことか、社のシンボル的存在であったロータリーエンジンをバスに搭載するという とんでもない計画にまで至った。(搭載されたのは画像の後継車パークウェイ)
経済性・整備性が優先されるべきパブリックな車に、元々スポーツカー向けのエンジンはさすがに無理があったようで僅か40台ほどの生産で終わったようだが、無謀と思えるほどの情熱と行動力は熱く沸き立っていた昭和の確かな一要素でもあった。